マキシム

福岡・北九州市の美容室マキシムは、お客様に心地よい空間を提供する美容室を
(小倉北区、小倉南区、若松区、筑紫野市、春日市、宗像市などで)展開しています。


TOP > コラム…春日店/筑紫野店・中村

コラム

春日店/筑紫野店・中村コラム

THE MALL春日店/イオンモール筑紫野店マネージャー 中村泰嗣


「幸せだね」 NO162
2012.01
 

先日、シルクドソレイユ「KUZA」福岡公演を観に行きました。シルクドソレイユはサーカスと演劇が融合したような演目で満員の観客で賑わっていました。会場はカップルや家族連れがほとんどで開演前から幸せオーラ全開です。公演は超人技の連続で「楽しかった」の一言に尽きます。夢のように楽しかった。何か夢を観ていた様な気がする。それが率直な感想かもしれません。夢のような一日というと何か特別に願いがかなった一日ともとれるし、特別でない一日も夢のように幸せだったと感じる一日もあるかもしれません。
公演の後「楽しかったね」と言う友人に素直に「楽しかったね」と返す私。たぶん観客の多くの恋人同士や親子の間で同じ問いかけがあったと思います。「楽しかったね」「そうだね」なにげない会話が夢のような一日にふさわしい。そう思います。
「楽しかったね」の後に恥ずかしくて言わないけど「幸せだね」「そうだね」きっとこの言葉が続いています。「幸せだね」この一言が今日この平凡な一日が夢のような一日になる魔法の言葉です。恥ずかしいけど、そっとつぶやいてみてください。「幸せだね」


「サイン」 NO161
2012.01
 

先日、母の代わりに手術後の看病の為父の病室に行きました。
朝から五時間くらいですが父と二人きりの時間を持ちました。慣れない空気と手持ちぶさたで何度もコーヒーを買いに出ました。病室の窓から向いの小学校が見えます。私が小学校二年生まで通った学校です。少し遠くに子供のころ遊んだ金毘羅山という小高い山も見えます。たぶん父が入院しなければ二度と見ることの無かった風景です。私はこのジオラマセットのような風景をただ何時間も見ていました。病室を後にして近くにあった原っぱがどうなっているのか気になって探してみました。確かこのあたりだったと視線を横の路地に向けた時、心が震えました。それは私が5歳くらいの時に祭りの露店で買ってもらった風船が手から離れて空に飛んでいく記憶 その記憶の中にある路地だったからです。
「ここだった」私は心でつぶやきました。駅に向かい、始めて利用する駅のホームに立って、しばらくして私の足元に大きく4 / 8 と表示してあることに気づきました。8両編成の4両目ということかもしれません。しかし他の表示はホームのどこにも見当たりません。4/8 4月8日と私には見えました。私は4月8日生まれです。その時ホームから少し見える空を見上げました。私という存在に私が気づかせてもらった。そのサインだったように思います。


「生まれ変わる」 NO160
2012.01
 

今年も穏やかな心で新しい年を迎えることが出来ました。ありがとうございます。
今年の私のテーマは「再生」です。生き方をリセットしたり修正するということではなく、私自身の人生を少し「修理」してみようと思います。
昨年一年間で人生には破壊~再生~成長という流れがあることを改めて感じました。
痛みを伴う破壊を経て自分自身が再生している喜び、再生できる喜びが人生の楽しみや醍醐味であることに気づきました。
私は自分自身のことを嫌な奴だなとか我ながら情けないなと思うことが時々あります。
小さいことでカリカリしたり、感情的になって余計なひと言を言ってしまったりします。
前向きで積極的に仕事をしているつもりですが、よくよく考えてみると、最終的にどこかに責任を転嫁してしまっている自分がいます。
そんなときの私は「恐怖」が心を支配しているように思います。そしてその時の私の心の中には「感謝」の気持ちは微塵もありません。自分の中に「恐怖」と「感謝」を同時に持つことはできません。私自身が生まれ変わりたいほど嫌な自分とは結局、感謝の気持ちを持てていない時の自分のことだと思います。自分自身の「心」と「身体」にいたわりながら正直に自分でスキャンをかけてみます。そして修理したい部分が見つかったら自分の手で優しく包んであげる。それが再生の一歩のように思います。


「手帳」 NO159
2011.12

来年の手帳が店頭に並ぶ季節となりました。私はかなりアナログな人間です。デジタルな物にはどんどん遅れてしまっています。書いたり読んだりは苦にならないので、スケジュール管理はもっぱら手帳に頼っています。新しい手帳を買って開いたときに新しい自分になるようで嬉しくなります。私は手帳を買った日に来年の予定の思いつくもの全てを書き込みます。仕事もプライベートな事もやりたいことは全部予定に書き込みます。計画性がない私ですが、これをやると来年一年間が自分の思うままにいい年になりそうに思えるから不思議です。私は来年の手帳を開いて自分の誕生日と、大切な人の誕生日の所に「生まれ変われる日」と書きます。去年の末に今年の手帳を買ったときにふと、そうしようと思ったのです。新しい年を迎えて今年一年はこういう自分でありたいと思います。しかし一年は長く流されてしまいます。自分の誕生日と大切な人の誕生日はいい区切りになります。
その日に自分をリセットする。軌道修正していい日と決めています。ダメで嫌な自分ともこの日を境に生まれ変われる都合のいい日です。心からおめでとうと言える日に生まれ変われるなんていいアイデアだと思っています。よろしかったら一度お試しください。
今年もありがとうございます。心より感謝いたします。


「占い」 NO158
2011.11
 

世の中には占いみたいなものが好きな人と興味のない人、二つに分かれます。
私はテレビの今日の運勢からラッキーカラー、前世のことまでそうかもと思ってしまうタイプなので、完全に占い好きの人間です。逆に占いなんて信じないという人は現実的でクールなイメージで少々羨ましく思います。そんな私が生まれて初めてお金を払って占いというものを診てもらいもらいました。初体験の感想は「すごく当たっている」「面白い」「どうしてわかるの?」占い好き体質の私としては興奮して100%受け入れてしまいます。
これからの進むべき方向性を示してもらえて私としては大変、有意義でした。ここで私は一つ、学習しました。それはその後、私の占いの内容をいくら熱心に人に話しても、驚くほどほかの人には興味がないことだということです。考えてみれば当たり前のことです。
現実に起こっている切実な話題ならともかく、私の前世が何であってもオーラが何色であっても「だから何?」当たり前です。占ってもらうという行為は自分を知る、知りたいという願望の成せることです。究極にプライベートなことだと改めて感じました。歴史の中で占い師と呼ばれる人たちが大きな影響を及ぼしていたことも、占ってもらって初めて感覚としては理解できます。今日の運勢で一番ラッキーと言われれば何かいいことが起こるはずだと思って行動するし、アンラッキーと言われれば、ついてないことが起こると「やっぱりね」と行動を合わせているところもあるように思います。「あなたは本来こんなに素晴らしい人なのですよ」そういわれれば、「そうなんだ」と思って前に進む方が幸せですよね。幸せになるための占いなら、それはそれでいいように思います。そして良いことを言われても他の人には全く興味がありません。お気を付けください。


「大好き」 NO157
2011.10
 

先日、新入社員の面接を行いました。その生徒さんは佐世保出身の小柄で笑顔の素敵な人でした。学校からの書類を見ると一年生の時に欠席が一日もありません。「一年生の時は一日も休まなかったんですね。二年生になってからはどうですか?」私が尋ねると「二年生になってからも休んでいません。私、学校が大好きなんです」と彼女。満面の笑みにこちらもつられて笑顔です。「メイク科を専攻されていますよね?」私が尋ねると「はい!私、メイクが大好きなんです」とまた笑顔。学校が大好きで、学んでいることが大好きで、このまま入社してくれれば会社のことも大好きと言ってくれそうな勢いです。
社会人としての面接の受け答えのレベルとしては稚拙な面もありますが、笑顔+大好きという言葉がこれほど空気を明るく元気にするものだと改めて教えていただきました。
「大好き!」「大好きです」言っていません。忘れていました。しばらく。 
勝手にやらなきゃいけないことが山のようにあるような気がして、疲れてしまい実際、たいしたことをしていない私が再生する一つのヒントがあるように思います。
仕事が大好きなんです。家族が大好きです。周りの人たちが大好きです。社長のことが大好きです。上司のことが大好きです。福岡が大好きです。日本が大好きです。少々気持ち悪いですが言ってみると気持ちがいいです。
「大好きです!」不思議なパワーがあります。ではご一緒に「大好き!!」


「姿勢」 NO156

2011.09

 

今朝 私は感動しました。通勤途中のなにげない景色の中で、その人の姿がありました。
私が筑紫野へ向かう電車はいつも空いています。後ろから二両目の一番後ろの席に私は座ります。大野城から水城を過ぎ都府楼南に電車が停まりました。二日市に向かい電車が動き出した時、私が窓越しに改札口に目をやると動く電車に深々と頭を下げる駅員さんの姿がありました。「あっ!あの駅員さんだ」頭を下げられているので、お顔はわかりませんし、どなたかも存じません。ただこの方をお見かけするのは二回目なのです。ひと月前ほどに、今朝と同じように深々と電車に最敬礼されるこの方を偶然、お見かけしました。電車の中で私は外の景色を見ていることが多いので、今まで述べ何千回といろいろな駅を通過してきましたが客席もガラガラな普通電車にあんなに深々と頭を下げられている駅員さんをお見かけしたのは初めてです。その姿に私は大きく感動しました。その駅員さんの仕事に対する真摯な姿勢に感動しました。ほんの一瞬の出来事ですが私に「仕事とは何か」を教えていただいたように思います。仕事とはその人がその仕事に向き合う姿勢ですとその駅員さんがおっしゃっているように思います。最近、以前より仕事の結果を出すことが難しくなってきているように感じます。ため息も多くなります。残暑の疲れもより堪えます。そんな時、この駅員さんに教えていただきました。どんな時も自分自身の仕事に向き合う姿勢が一番大切だよと。私も仕事で思うような成果が出せない時や、やりがいやなどに悶々とする前に私自身の仕事に対する姿勢を見直すことが大切なように思います。お名前もお顔も存じませんが素敵なJR職員の方に感謝します。ありがとうございます。


「ほんとうの気持ち」 NO155
2011.09
 

「大人になるって、どういう事?」今、子供に聞かれたら、なんと答えますか?
私はこう答えます。「いろいろな気持ちがほんとうの気持ちになること」
最近、自分のほんとうの気持ちがわからないことに気づいてしまいました。
というより、ほんとうの気持ちというものがあったのかさえ分からなくなりました。
何か大きな出来事があったという訳ではなく、日々のなにげない出来事や人との関わりで
今まで不思議に思わなかった自分のほんとうの気持ちというものを改めて考えてみると、わからなくなりました。これを優柔不断というのかもしれません。
楽しいのだけど、すぐ気持ちの脇に寂しさがあったり、イライラしているのだけど、冷静な自分がいたり、切ない気持ちで溢れそうなのに、前向きな自分がいたりします。
子供のころは「うれしい」「楽しい」「大好き」「悔しい」「悲しい」気持ちは一つだったように思います。そう思うのは私の勘違いだったのでしょうか?
あたりまえのことですが、日々いろいろなことを経験して喜んだり傷ついたりして、初めて気づきます。その経験を積み重ねるごとに、気持ちはいろいろになるような気がします。
秋だから、こんなことも考えてしまします。こんなことを考えながら昼ごはんのことも考えているので大丈夫です。


「たるみ」 NO154
2011.08
 

「最近、顔の肉がたるんできたね」友人が余計なことを言います。
自分で鏡を見るときは意識しているので少しはマシですが、普段の意識していない顔はかなりたるんでいるのでしょう。
写真で見るとその傾向は更に顕著で老化は確実に進行しています。
私のまったく知らないオッサンが写っていて愕然とします。
そんな私ですが体は確実に進化しています。生物学的には老化していますが、筋トレのおかげで見た目は若いころより断然いいと自負しています。
ジムにも脚だけ、腕だけみると20~30代にしか見えない50代60代の方などいらっしゃいます。
現代では筋肉はトレーニングすれば、死ぬまで発達するという考えが主流のようです。
老後に備えてお金も必要ですが、筋肉も必要です。見た目だけでなく、立ったり座ったり歩いたりという行動にも筋肉は不可欠ですし、最後まで自分の力でトイレに行ったり風呂に入ったりしたいとなれば、ポイントは筋肉をいかに温存できるかだと思います。
私はジムに通い始めて7年になります。今後もできる限り続けていこうと思います。
最初のころは面倒くさいし、きついしであきらめそうになりましたが、今は続けて本当によかったと思います。筋トレは、やればできるという小さな自信を積み重ねていけますし自分の努力が報われる実感を得られます。目標を持って計画し実行するという私が一番不得意なことを筋トレによってトレーニングできました。あとは老後に向けてお金を準備しなければいけません。これが一番不得意なので克服します。


「どちら派?」 NO153
2011.07
 

最近、作家の角田光代さんの短編のあとがきに「旅行先で本を読む派か読まない派か?」という文面に大変興味を持ちました。
私は断然、知らない土地で本を読みたい派です。
当然読まない派の人は、せっかく知らない土地に来たのだから、見られるものは全て見たい、本なんてどこでも読めるよという事でしょう。
今まで意識していませんでしたが改めて考えると、私の旅行の楽しみの半分くらいは本が自由に好きなところで読めることかもしれません。
今までの旅行で読んだ本の内容はあまり覚えていません。ただ本の内容に物凄く感動した時の場所と景色は不思議なくらい印象として頭に残っています。何年も前に「ノルウェイの森」を夢中で読んだのも沖縄でした。帰りの空港に向かうバスの中で読み終えて見上げた窓からの夕焼けは私の人生の中で一番切ない夕焼けでした。同じ本でも時と場所とで内容は変わるように思います。ですから旅行先で読みたい派の人は旅行にどの本を持っていくかを考える最大の楽しみがあります。旅先で読む派、読まない派どちらでもいいのですが、パートナー同士は同じ嗜好がたぶん良いですよね。私のように旅先でもごろんと横になって本を読んでいる人間はアクティブな人から見たら退屈男でしょうから。
旅行用に新しいデジカメを買ったものの、旅行先でほとんど写真を撮らない私には不要なものだったと最近気づきました。本を読み返した時にやっと、その土地を思い出す。そんな旅行もアリですか?


「人を残す」 NO152
2011.07
 

先日、春日店の副店長の中野から以前私がアドバイスしたことが、最近、意味が解り素直に実行しているという話を聞きました。
お客様のお見送りの件でしたが、何年も前のことを彼が覚えていてくれたことが、意外でしたし素直に受け入れてくれたことに感動しました。
最近、私もついこの前までの私自身の仕事のスキルや行動が我ながら恥ずかしくなることがあります。その時その時は私なりに一生懸命やってきたのですが、やはり見えていないことがたくさんあったのだと思います。人と比べることはできませんが、私自身もそれなりに成長しているのかもしれません。
以前より見えるものが増えてきた。そう思います。
それはあたりまえのことですが、私の周りの人たちのおかげです。
そのあたりまえのことが、最近やっと理解できます。
人から人へ受け継がれていくということは教えていただいた志や思いをまた他のどなたかへ受け渡していくということなのですね。
先日、私どもの社長が「人生の最後に人を残すような人生が一番素敵だね」と言いました。
私も人を残していくような人になりたい。そう思います。


「本屋の神様」 NO151

2011.06

 

トイレにも神様はいますが、私は本屋に神様がいると思っています。どこの本屋にもいるという訳ではなくいつも足繁に通っている本屋に神様はいるのです。
私は毎日、本屋をのぞいています。トイレに行くついでに。昼食のオニギリを買いに行くついでに。そして仕事に行き詰ったり、心が少し重たくなったり、頭の中が溢れそうになった時も本屋に行きます。私が誰かに人生のことや、仕事のことや、熱い思いや冷めてしまった感情を相談したい時、不思議なことに本屋の神様が私が手に取るべき本を光らせてくれます。嘘のようですが、その本だけがエネルギーを持っているように光っているような気がするのです。そして、その本の中に今の私に何かを気づかせてくれるキーワードやメッセージがあるのです。何の脈絡もないようなジャンルの本の中からも誰かが
優しく、こうしてみたら?と教えてくれているのです。人との出会いも本との出会いも同じなのかもしれません。

まずは足繁く出向いてみること。直感を信じること。エネルギーを感じること。そしてその場所で応援してくれている神様に感謝すること。美容室にも神様はいますよね。


「右手」 NO150
2011.05
 

今週、一番ほほえましい出来事。横断歩道で信号待ちをしていた時、
反対側で黄色い帽子の小学校の新一年生の男の子が、赤信号で待っている間
ずっと右手を上げていたこと。
知らない女性が「渡りはじめてから手を上げるんだよ」と耳打ちしていましたが、
男の子は困った表情で右手を上げたままでした。
もうひとり。ランドセルに真新しい黄色いカバーを付けた一年生らしい男の子、
一人で歩道の右側に座り込んでいると思ったら、いきなり左側前方へ移動し座り込み
歩道の草か虫か何かを探していました。しばらくすると、また右側へ移動し何かを
探していました。もしくは何かに話しかけていました。
子供にしか見えない何かがあるに違いありません。
子供ってすごい!おもしろい!本当に自由です。
こんな子供たちを見ると、自分勝手に生きている私でも何かを守らないといけない
気持ちになるから不思議です。
放射能の問題でも子供たちのことを考えると、こんな私でも祈るような気持ちになります。
一番困っているのは右手を上げている子供たちかもしれません。


「スキンシップ」 NO149
2011.05
 

先日、実家に帰りました。
実家に帰る前に電話をかけるのですが、父が電話に出るときは要注意です。
母が電話に出ないこと イコール体調が悪いか機嫌が悪いということです。
案の定、家に帰ると父が急いで玄関を開けてくれて、奥から額に冷えピタを貼った
母がイスの背につかまりながら「ゴメンネ」と声をかけます。
なぜゴメンなのか わざわざ来てくれてありがとうの意味と、せっかく帰ってきたのに
体調悪くてゴメンなのか複雑です。
それでも食事の用意もきちんとしてくれていて、部屋も驚くほど片付いています。
「体調悪いのに、こんなんしてくれなくていいのに」と私
「具合が悪くてもしないといけないことはするんよ」と母
どうしようもない空気が漂います。
母を見ていると人間ってつくづくバランスなんだなって思います。
老いや病気の不安と自分の気力や体力のバランスが取れていることが人間の幸せのようです。
私もどうしようもなくて久しぶりに母の肩と背中と腰と手をマッサージしました。
不思議とリラックスすると母も機嫌が良くなり落ち着きました。
やはり老いると子供返りするんでしょうか。
子供と同じようにスキンシップが大切なのかもしれません。
身近な人が触れてくれる。それが一番の薬の時もあるのかもしれません。


「未来」  NO148
2011.04

あの日以来、私も神経が過敏になっているように思います。
TVを見ていても画面に頻繁に出る地震速報にしかめっ面をし、原子力発電所事故
関連のニュースを検索し、ため息をつく。そんな一ヶ月でした。
正確な情報を知りたいと躍起になっていた私。
今思えば、そんな情報を得たからといって私が何かお役に立つ行動を起こしたわけでは
ありません。
冷静に考えると私にも降りかかるかもしれない恐怖に怯えていただけかもしれません。
今私に出来ること。それは平静を取り戻すことかもしれません。
そんな中、私たちのスタッフが続けて出産をしました。
新しい生命が生まれること。その子供たちに未来があることが、こんなにも救われる思い
がするのかと実感します。
子供が生まれ育つ環境があること。今日やるべき仕事があること。
こんな当たり前の事が幸せのほとんどだと今は思えます。
あの日以来、朝目覚めると、少し不思議な思いがします。
いつも通りの朝を心の底からは感謝できない私はまだ未熟者ですが、少し無理をして
顔をひきつらせてでも笑顔を作って、ありがとうございますと言っています。
そう、あの日以来、朝が来るということが、私にとって少し特別になりました。


「ありがとう」 NO147
2011.03
 

この10日間は私の人生の中でも一番「自分を見つめる」10日間であったと
思います。日常であるべきか、日常であってはならないのか。
他人事であってはならないという気持ちと、どうしても他人事である自分と。
楽しいことを受け入れたい気持ちと、受け入れる後ろめたさと。
全てが夢の中のことであるような気もして、そこから早く逃げ出したい気持ち。
逃げないで受け入れること、逃げないで受け入れよう、そう思うと、
少し気持ちが落ち着きます。
被災したわけではない私の目から見ても、世界は変わりました。
皆、前より優しくなりました。
子供を抱っこするお父さん、お母さんが増えました。
子供と手をつなぐお父さん、お母さんが増えました。
子供と顔を合せて会話するお父さん、お母さんが増えました。
自然と「ありがとう」と言う機会が増えました。
不思議と「ありがとう」と、よく言われます。
近くの方にも遠くで被災された方にも本当に頭が下がります。
身近な人達の素晴らしいことにも気がつきました。
何もできない私は「申し訳ない」という気持ちを知りました。
近くの方にも遠くの方にも心から「ありがとう」それが一番の私の気持ちです。


「You Can」 NO.146
2011.03
 

私がこのDMを書き始めて八年くらいになります。
最初の頃は何か書かなきゃという思いばかりで、社長からも
「自分自身のことを正直に書かないと、読んでいただいている人におもしろいと
思ってもらえないよ」と、よくダメだしをされていました。
今、振り返るとDMを書くこの時間が、今の私を私自身、一番、観察し、いたわり
励まし、元気づけ、勇気を与えてくれている時間のように思います。
ここ2~3日、私は少しぼんやりしていました。
元気もないし輝いてもいません。
今朝、原因が分りました。自分の可能性を信じることを少し忘れていました。
自分達の可能性を少し疑っていました。
自分のことは分りにくいのですが、元気は希望に比例しているように思います。
希望とは可能性ではないかと思います。
鏡を見て、なんだか輝いてないように見えるのは私自身が可能性を忘れ、自信を失い
かけていたからかもしれません。
You Can Get It!! 君なら出来るよ! 僕は信じている。
大切な人にかけてあげたい言葉です。何より自分自身に言ってあげたい。
素敵な人が言っていました。「思いは伝わる。熱は広がる」と
私は熱く生きていきたい。その思いを確認しました。


「春の海」 NO145
2011.02
 

「今日ね、海に行ってきたんよ。昔、よく家族で行った海♪
iphoneで写真撮ってみたよ(^o^)/」
友人からのメールには季節はずれの海辺の画像が添付されていました。
その画像は砂浜から水平線までの、やけに白っぽい空と薄い青の海とが半々になった
明るい春の日差しの幸せな画像です。
昔よく家族と行った海かぁ いいな。私も小さい頃の記憶を呼び起こして、家族との
海水浴を思い出そうとしましたが、私の頭のファイルには残っていませんでした。
行ったハズだよな、行ってないのかな?少々不安です。
私も友人に「素敵やね」とメールを返します。すると友人から「なんかね 最近気付いた 
家族の愛に包まれていたんやなあって」と返事。
家族の愛ってヌケヌケと言う友人も素敵です。
おかげさまで家族との海水浴の思い出のない私も幸せな気持ちです。
「モノより思い出」とはよく言ったものです。他人様の思い出でも私のいい思い出になります。そう、私も家族の愛に包まれていたということなんですね。
その海の画像は私の思い出として保存しました。


「ミュージック」 NO144
2011.02
 

私は音楽というものを自分から積極的に聴いたり演奏したりすることが、ほとんど
ありません。
「曲をダウンロードする」という仕組みも、よく解りませんし、音楽CDも何年も
買っていません。家で意識して音楽を聴くという時間は全くありません。
ですから受動的に音楽に触れると余計に聞き耳をたててしまいます。
特に歌詞を理解するためにかなり集中して聴いてしまいます。
いつもまわりに音楽が溢れている人に比べると私のような音楽無縁人間には乾いた
砂漠に落ちたわずかな水のように曲が染み入ることがあります。
音楽は小説に似ているように思います。私の頭の中に私だけの勝手なイメージが
浮んでくるのは音楽も小説も同じです。
私は歌を歌うこともほとんどありません。でも人が歌を歌うのを聴くのは好きですし、
楽しくなります。特に親しい人が急に部屋や車の中で鼻歌などを口ずさむのは、すごく
幸せな気持ちになります。少し調子がはずれたりすると尚いいです。
鼻歌を歌うときって相手も少なからず一緒にいて心地いいと思ってくれているからかも
しれません。
親しい人とご一緒のとき、鼻歌などいかがですか?


「ひとり徹子の部屋」 NO143
2011.01
 

私は自転車で通勤していますが、その時いろいろ考え事をしています。
そして一日の内で最も自由な事を考えられる時間でもあります。
そんな私の頭の中に急に「徹子の部屋」に自分が出演している場面がイメージで浮んできました。
あのソファーに私が座って、横に徹子さんのイメージです。
そして徹子さんが、私にあの口調で「あーた(あなた)今回はご自分でも相当がんばったってお聞きしましたけど」「まあ!そうなの!」「あーたお見かけと違ってお小さい頃はずいぶん、いい子だったそうで」「その時はさぞ、おつらかったでしょうね」といろいろな個人的な質問をなげかけてくれるという妄想です。
これが、ことのほか私にとってストレス発散となり自分の考えを整理するのに役立ちます。
私が聞いてほしいことだけをあの黒柳徹子さんがきいてくれるというスペシャル番組です。
自分が視聴者に全く興味がない存在でかまいません。
そして人に話しを聞いてほしいという欲求はなかなか充たされません。
それならばスペシャルな人に勝手に自分の話を聞いてもらいましょう。
徹子さんにインタビューを受けて自分の答えを自分で聞いてみると自分のことがよくわかります。
自分がどんな思考をして、どんな人間になりたいのか。
何を求め何を大切にしたいのか。よくわかります。
おひまな時「ひとり徹子の部屋」おすすめです。


「新しい」  NO142
2011.01

若い頃は、クリスマスがきて、お正月になってという流れをごく当たり前の事
として過ごしてきました。最近、歳を重ね、あと何回、新年を迎えられるのかな
と考えるようになりました。
特にこの人とあと何回と考えると今年の正月も大切な正月になります。
新年早々、仕事をして、お店も人と同じように息をして生きているなと感じます。
お店も中で働く人達の力で生まれて成長し時には無くなってしまいます。
お店も育てて残していくべきだと気持ちを新たにしました。
明るくなった。元気になった。若々しくなった。お店も人間と同じように生まれ変わる
感覚が必要です。
そう考えると、私も少しずつ生まれ変わっているのかもしれません。
去年の正月よりも一年分、昨日よりも一日分、私なりに何かを付けたし、取り入れ、
飲み込み、みがき、そして少し苦しんで、こねて、丸めて排出したのだから、新しい私に
生まれ変わっていますよね。
私のようにスタートのレベルが低いと生まれ変わりの幅が広いので助かります。
改良に改良を重ねて、この世から無くなる時が最強の自分ということになりますよね。


「世界不思議発見!!」 NO141
2010.12
 

詳しいことは解りませんが、2012年に宇宙において大きな動きがあるそうで、
それによって新しい次元の世界に入っていくという説があるそうです。
能天気な私は「そういうことって、ある ある」とかなりの期待感をもって、年の瀬を
迎えています。
NASAが宇宙人を公開するのでは?というニュースが最近ありましたが、イメージ
どおりの宇宙人が公開されるとガッカリなので、宇宙人はまさかというビジュアル
であってほしいものです。宇宙人と呼ばれる人は確かに存在するでしょうが、すでに私たちの周りで地球人として活動していると考えるほうが自然です。
私はオバケは見たことがありませんが、UFOは見たことがあります。
UFOなのか確かめようがありませんが、UFOとしか思えません。
遠くをチラチラ変な動きをするUFOではなく、頭の上を光の玉がビュゥヮーンと後ろから前に飛んでいきました。ピカッーと一瞬光って、ビュゥヮーンです((笑)
UFOであってもなくても、たいしたことではありませんが、新しい年を迎えるにあたって、私たちの知らない世界、経験したことのない世界へ突入していく実感があります。
必ず素晴らしい未来がまっている。皆様にも私にも。そう信じています。


「トイレの神様」 NO140
2010.11
 

先日、実家に帰って久しぶりに母と話しらしい話しをしました。
その日は、父の2ヶ月に一度のガンの検診の日で、幸い、再発していない結果に
母はいつもより饒舌でした。
母「あんた、トイレの神様って歌、知っとる?」「あの歌、私そのままの歌よ」
母は少し前にヒットした「トイレには、それはそれはキレイな女神様がいるんやでぇ」
という歌の話しを始めました。母「あんたが生まれる前、ばあちゃんがトイレには神様が
おるから、トイレを掃除して掃除して掃除したら気立ての良い丈夫な子供が生まれるって言うから私は鵜呑みにして日に5回も6回もトイレ掃除したんよ」
初めて聞く母の話は少し意外でした。その頃、同居していた祖母と母は折り合いが悪かったはずなのに、母が祖母の話を素直に聞き入れていたこと。トイレの神様にもすがりたい程、母が心細かったこと。
私も歳を重ねて親に感謝する気持ちは人並みくらいには持てるようになりました。
でも生まれる前のことをありがたいなと思うことはありませんでした。
トイレの神様のおかげで、気立ては微妙ですが体だけは丈夫な子供で生まれてきました。


「お悩み相談」 NO139
2010.11
 

脳天気な私ですが、私でさえ悩んでいるような時もあります。
今の私の悩みは私自身が時を重ねて「良くなっている」のか
「悪くなっている」のか、わからなくなった時に悩んでしまいます。
良くなっていると実感している時は多少いろいろなことが起こっても
前向きに乗り越えられます。
わからないと思ったとたんに、「不安」におそわれます。
考えてみると私の悩みは、ただひとつ「不安」ということにつきると思います。
今までの人生を私なりに振り返ると、悩みはその時々にあったようですが、
実際はなかったような気さえします。
そこにあったように思えるものは「不安」だけだった。そう思います。
「不安」とはエネルギーを浪費するものである。誰かが言いました。
私もそう思います。不安というモヤモヤがたちこめだすと、私の場合
お腹が痛くなり、ため息をつく、肩がこり、口が渇く、声が出にくくなり、
顔が恐くなる。いいこと、ひとつもありません。
悩みを解決する。私の場合、それは、不安を断ち切る、不安を乗り越える、
不安を消す。それひとつかもしれません。


「ニュース」 NO138
2010.10
 

「人の気持ちも考えろ!」そう言われたことも、そう人に言ったことも、私の記憶の中ではないのですが、最近よく人の気持ちを想像します。
特別なことではなく、世の中のいろいろな出来事の中で、政治家や事件を起こした人、
事件に巻き込まれた人、時の人、活躍した人、活躍できなかった人、責められている人、
追及している人、その人、その人の気持ちを想像します。
私の知りうる、その人のそれまでの行いや、私の価値観などは関係なく、「今」のその人の気持ちを想像します。
少し前の私は事実と呼ばれるものや、その人の行いに目が向き「いい」とか「悪い」とか
「好き」とか「きらい」とか「受け入れる」とか「受け入れない」とか「支持する」とか
「支持しない」とか考えていました。
今はそれよりも、ぼんやり、その人の気持ちを想像します。そうすると私自身が少しその当事者のような感覚になります。その人の「今」の気持ちを想像することで、その人の
「今までの人生」を私なりに想像することが出来ます。
それが何かの役に立つということはありません。
ただ少し、その人に寄り添っているような、その人も私と同じ弱い部分があるのではないかとか、そう、少しだけその人に優しい気持ちを持てるような気がします。
歳を重ねて、少しおだやかになったのかもしれません。


「名月」 NO137
2010..09
 

その日、仕事を終えて見上げた中秋の名月は薄い黒布を二重、三重にして後ろからライトをあてたような輪郭のぼんやりした月でした。
5分程、自転車を走らせ、住宅地の角を曲がり目の前に現れた月を見て心が震えました。
速い雲の流れで一気に空が澄み渡り、私の人生の中で最高に美しい月に姿を変えていました。私と月の間の空気が透明な寒天でうめつくされたような水々しい空、まるで深い湖の底から美しい月を見上げているような不思議な感覚。
今まで月を美しいと思ったことは数知れずありましたが、これほど心奪われる月を見たのは初めてです。
次の角を曲がるまでの、わずか1~2分のことですが私にとって奇跡の時間でした。
最近、思いがけないときに、思いもよらないことが、よく起こるような気がします。
何年も会いたいと思っていた人に偶然に出会ったり、縁の途絶えた人と、又、ご縁があってお付き合いできたり、まさにサプライズの連続です。
「ごほうび」それは何か大きな力が、そっと手渡ししてくれる小さなサプライズなのかもしれません。


「自由」 NO136
2010..09
 

私は本当に仕事をする上で「売り」というか、他の人より長けている所は皆無なのですが、ひとつだけあるとすれば、「仕事を休まない」ということがあるかもしれません。1年365日の内、旅行で1週間程休みますが、それ以外はほとんど毎日出勤しています。365日の内、355日は出勤しています。1週間の内2日は3時ぐらいに仕事を終えてジムに行ったり、プライベートなことをしています。今はこのスタイルが1番体調も良く、快適です。

休みをとらないことが良いことだとは思っていませんし、人それぞれのことでしょう。物理的な「自由な時間」は限られていますが、精神的な「自由な時間」は私にとってはベストのように思います。そのおかげかどうかは解りませんが、私は最近よく「今の自分が今までの人生の中で1番いいな」と思います。あの頃の自分が一番よかったといえる,あの頃が私にはないのです。

「自分の人生だから他人と比べることはできない」

この歳になって素直にそう思います。「今がベスト」これ程心おだやかで、自由なことはありません。


「肝だめし」 NO135
2010.08

私は正真正銘の「ビビリ」です。ホラー映画も生まれてから一回しか見たことありませんし、「おばけ屋敷」も入ったことありません。人を恨んだり呪ったりすることに触れるだけで運気が下がるような気がするのもありますが、ただの怖がりでビビリなだけです。
小学校高学年の頃、ボーイスカウトのキャンプで「肝だめし」がありました。森の中を目印をたよりに目的地まで行くというものでしたが、ビビリな私は顔を上げて目印を探すことができず、もくもくと早足で足元だけを見て歩いて歩いて歩いて、結局山をこえて、ふもとの町までおりてしまいました。目的地で待っている皆んなは私が戻ってこないので大騒動となり、森の中を捜索した後でききました。全く人騒がせな話で、封印していましたが、今、思えばそんな私も健気でかわいいように思えます。たぶん半泣き状態で山道を歩く姿は、ドラエモンの「のび太」みたいです。でも一生懸命でした。私やのび太みたいなビビリはカッコ悪いですが危ないこともしないからケガもしません。おかげ様で今日も元気です。世の中、カッコイイ人もカッコ悪い人も必要なんですね。


「ヤンキーな夜」 NO134
2010.07

日中、うだるような晴天の夏の日の夜空の月は印象的です。その日、仕事を終えた私達三人組も月を見上げて言いました。「海に行こう!」私達は当時22歳でした3人ともヤンキーの聖地小倉生まれです。当時はなぜかヤンキーがカッコイイとされる時代です。私以外の彼と彼女はヤンキーでした。夏の熱気で超ハイテンションになった彼は奇声を発しながらハンドルを握り、深夜の関門海峡を逆走したりしました。

ヤンキーでない私は生きた心地がしませんでしたが、ヤンキーな彼女は冷静でした。奇跡的に無事に山口の小串あたりの海に着きました。あたりはまっ暗ですが、月の輝く深い青い雲が記憶に残ります。私と彼は奇声を発しながら砂浜をかけ回り、パンツひとつで海に入りました。はしゃぎ疲れてさぁ帰ろうかと服を着た時信じられないことを彼が言いました。「車のキーがない」「・・・・・」足元も見えないくらいのまっ暗な中、しばらく3人はだまってしまいました。すると彼女がしゃがみ込んで「あったよ」と一言。なぜ見つけたのか今だになぞです。その後、車に乗りこんだものの、砂が空回りして結局朝まで車の中ですごしました。明るくなって驚きました。三人がはまった場所は海の家のゴミ捨て場でした。そう暑い暑い日の夜の月を見て思い出します。ヤンキーな青春時代を。


「アインシュタインじゃないし」 NO133
2010.07

鹿児島に行ってきました。美容学校の生徒さんへの会社説明の為です。2時間半の列車の車中、ひとり車窓をながめていると、いろいろな事を考えます。帰りは疲れもあって、普段考えもしない事が頭の中を流れていきます。車内は出張のサラリーマンが多く、皆さんだまって本を読んだり眠ったり、言葉もなく時間をつぶします。その間も車窓の風景はどんどん流れて行きます。車窓と車内を交互に見渡すと、車内の人達と同じ時間を共有しているはずですが、ひとりひとりの人生が違うように時間も違うはずだなだななどと考えます。同じ車内という空間も時間と共にどんどん移動していきます。移動する時間と空間が違う時間が存在するってアインシュタインの相対性理論なのだろうか?などと、どうでもいいことを考えます。そして車窓に目をやると、不思議な事に地上から空に竜巻のように雲がつながって見えます。外のうす暗さと社内の明るさの為の目の錯覚ですが、何度まばたきして、見直してもそう見えます。夢かまぼろしか、私の頭がおかしいのか、どうでもよくなってきます。たくさんの人と空間を共有しているのにそれぞれがひとりぼっちで車窓の風景はスクリーンに流れる作りもののように見える疎外感がトリップさせます。人生って夢も現実も区別できないような気がする。ねぼけた私が社内で納得した唯一の結論でした。


「幸せってなんだっけ♪なんだっけ?」 NO132
2010.06

「自分のやりたいことを、やりたいように出来る時期は限られている。年を重ねるごとに親のことだったり、子供のことで、いろいろ制約ができて、いろいろなことをあきらめていかないといけなくなる。だから、やれるうちは精一杯がんばりなさい」若い頃上司によく言われました。そして、この年になって、その通りだなと思います。先日父の手術に立ち合いました。これってドラマによくあるシーンだよなぁ。などと、先生の説明を受け、明るい先生でよかったななどと、この場におよんでどこか他人事な私でした。そんな中手術を終え、病室に戻ってきた父は母にいきなり、しょーもない冗談を言って笑わせていました。こんな時によくそんなしょーもない事を言るなと思いながら私も救われる思いがしました。永く連れ添ってお互いが弱って、支え合わないと生きていけなくなって初めて増していく弱々しい輝きのようなものを二人に感じました。友達や恋人ではその空気はつくれないように思います。なんだかんだありますが、父も母も幸せだなと思います。私もやれるうちに精一杯がんばらなければいけません。病院からの帰り道、明石家さんまのCMの「幸せってなんだっけなんだっけ♪」がなぜか頭から離れない私なのでした。


「ベトナム ハノイへ」 NO131
2010.05

1週間、家を離れ、仕事を離れ、心配事を離れ、目を閉じていても出来るくらいな多様な日課を離れ、ベトナム、ハノイへ行ってきました。ハノイは「暑い」「湿度が高い」「バイクが多い」「土ぼこりが街中に舞う」決っして快適とはいえない街かもしれません。それでも私はハノイの街並やベトナムの人達が大好きになりました。旅行中、毎朝5時半起きて、湖のある近くの公園を散歩しました。ベトナムの人達は4時半くらいから起き出して、家が快適でないのでそのまま公園に行きます。歩いたり、走ったりグループでエアロビックな体操をしたりベンチに座ってぼんやりしたり家族とおしゃべりしたりします。お世辞にもおしゃれな雰囲気ではないのですが全ての人を受け入れてくれるおおらかさがあります。私も外国にいるという緊張感や不安から開放されます。日本に戻り、あまりにきれいで清潔な日本にショックを受けました。ゴミもなく空気もクリアーでビルの建ち並ぶ様子は未来都市のようです。それでもベトナムの人達が少しうらやましいような気もします。家に戻ってTVのスイッチを入れるとNHKドラマの「ゲゲゲの女房」の主人公が生活を心配する父親に「私、お金はないけど毎日、笑って暮らしているよ」と言いました。なんだか心に染みました。


TRAVEL(旅) NO130
2010.05

旅先での楽しみはいろいろあります。訪れた土地を見て回り、その土地の文化、風土に触れることが一番素敵なことでしょう。しかし私の場合、どこを旅しても、あまりその土地のことを記憶していません。少々認知症なのでは?と自分でうたがう程、憶えていないのです。それにはひとつ原因があります。それは私がホテルが大好きだからです。特に海外のリゾートホテルでは、気持ちも開放している為か快適すぎて「引きこもり」状態です。そんな私のホテルライフのポイントはホテルスタッフと笑顔であいさつです。朝食のバイキングでも、まずスタッフに笑顔で現地の言葉で(ポイント)「おはよう」と言います。すると、彼女(彼)のテリトリーで、一番良いテラス席などに案内してくれる確率がかなり高くなるように思います。「サンキュー」と言った後に現地の言葉で「ありがとう」と一言つけ加えれば必ず笑顔を返してくれます。プールサイドのスタッフも、ジムのスタッフも、こちらのお願いに「いいよ、いいよ」って感じで接してくれます。旅先で風光明婿な景色に感動することも素晴らしいことですが、私は生れて初めて会う人達と笑顔をかわし合うことの方が心地良い思い出となります。

「よい、ご旅行を」


「下弦の月」 NO129
2010.03

「下弦の月」きのう、ふと見上げた月は美しい「下弦の月」でした。京都の芸子さん達は下弦の月に手を合わせ、願い事をする習慣があると聞きました。
その繊細で、はかなげな美しさに「はぁ、キレイやなぁ。」と、なぜか私も京都弁風です。「今日も一日、ありがとうございました。」と月にお礼を言って自転車を走らせました。私は車の運転ができないので、その分、空を見上げる機会が多いように思います。空を見上げながら自転車を走らせる変なオジサンです。
朝は朝で、夜は夜で、空の色や雲や星や月から様々なメッセージがあるように感じます。我ながらはずかしい言動や、大人として情けない行動をとった時など、空に向かって「ゴメンなさい」と言ってみます。単純な私はそれだけで、ずい分心が軽くなります。私に対するメッセージなので私に都合の良い、心が心地よいメッセージが返ってくる気がします。それでも、大きな力が応援してくれている、空を見上げれば、そう感じます。
明日が待ちどおしい。そう思える事が一番の幸せのように思います。


「素晴らしい」 NO128
2010.03

見栄張りな私は、ちょっとでも能力の無い人とバレないようにとか、ちょっとでも若く見えて、ちょlっつとでもモテたいとか、ちょっとでも長生きする為に病気にならないようにだとか、ちょっとでも知識があって部下に馬鹿にされないようにだとか、毎日あくせく自分なりに努力しています。

そんな毎日を送っていますと、ふとした拍子に「疲れるなぁ」と思います。最大限によく解釈すると向上心があるほうだといえるのかもしれませんが、そんな少々、お疲れ気味な私は先日、本の中に素敵な言葉を見つけました。それは、『なにはともあれ素晴らしい人生ですね』そう、なにはともあれ、なんだかんだ言っても、私の人生も素晴らしい人生に違いありません。ですから、まわりの人達にも自分にも言ってあげたい。「なにはともあれ、素晴らしいお仕事ですよ」「なにはともあれ素晴らしい生き方ですね」「なにはともあれ素晴らしいご家族ですよ」「なにはともあれ素晴らしいご主人ですね、奥様ですよ」そう、なにはともあれ、なんだかんだあるかあらこそ素晴らしい人生になるのでしょうね。なにはともあれですね。


「孤立」 NO127
2010.02

最近、布団に入って5分くらい寝つけないことがあります。5分くらいと思われるかもしれませんが、私は信じられないくらい寝つきがよく、1,2,3と数えて10までは数えられないくらいでした。寝られない間、何かを考えている訳でなく、何か小さな不安につつまれている感じです。「あー今日もあたたかい部屋で、あたたかな布団に入れて幸せ」とテンション高く、意識して寝る時はいいのですが、油断して無防備に布団に入ると小さな不安につつまれます。その不安は「孤立」というもののように思えます。自分が、どこにもつながっていないような不安です。心が無防備になった時つながっていたいという思いを自覚しているのかもしれません。

年齢によるものかもしれません。最近の世相を反映しているいるものかもしれません。ただポツンと孤立している感じが一瞬するのです。つながりとは、私の今まで生きてきた中での人に対する優しさや、思いやりの深さです。寒さに縮こまって、最近あたたかな気持ちを忘れていたな、そう思います。朝のガラスごしの和やかな日差しの中、元気をとり戻しました。


「クオリティ」
2010.01

新年あけましておめでとうございます。
おかげ様でイオンモール筑紫野も1周年を迎え、春日店・筑紫野店共に新しい体制で2年目をスタートいたしました。
2009年は私達にとって厳しい年でありました。また鍛練できる年でもありました。社会情勢に伴う、閉塞感に自信を失くしかけていたようです。
「自分を信じる」「仲間を信じる」「働く職場会社を信じる」「地域、国、ひいては宇宙の力を信じる」そんなことに気付く一年でした。おかげ様で今年の正月はおだやかに、例年よりも自然に明るく元旦から仕事をしています。2010年の私達のテーマは「クオリティ」です。あたり前のことですが苦しい時期をなんとか乗りこえて見つけたテーマです。やはり「クオリティ」の向上しかないと。
技術はもちろん、私達自身の人間性も、使用する商品もクオリティの向上しかありません。今の私達が至らない事は重々承知しています。その分、目標とする所まで大きく成長できる幅があります。楽しみも、喜びも、テンションも大きくなります。「やれないわけはない」のです。自分とまわりの仲間を信じていれば、やれないわけはないのです。

バックナンバー